続・銀色ギター迷走日記
さまざまな巡り合わせからギタリストとなった私の日常
しゃれおつ
- Posted at 2013.04.15
- l日々の出来事
![]() | 美輪明宏のおしゃれ大図鑑 (2005/08/26) 美輪 明宏 商品詳細を見る |
私は自分で自分のことを一度もおしゃれだと思ったことはないし、
むしろダサい部類に入る女子だと思っていますが近頃頂いたこの本が面白くて仕方ないです。
美輪明宏さんのおしゃれ大図鑑。
美輪さんというとどうしても「スピリチュアル系」という部類に思われがちですが、
この本の内容は本当にひたすら「カワイイ」!「キレイ」!
表紙からして可愛いでしょう。
普通のファッションorカルチャー系冊子として、わりと違和感なく読めるところがいい。
美しいものに囲まれれば美しくなる
――愛おしい音楽、上品な香り、綺麗な言葉使い、好きなものに溢れた部屋、質の高い映画、真の意味でいい男。
そんなテーマに則り、美輪さんがハタチの時に築いたという6畳1間の「お城」内部の再現イラストは、
そこらへんの女子よりも余程女子力高くて可愛かったね。
言葉が乱れれば心が乱れるし、部屋が散らかれば気も散ってしまう。
悪い男に引っかかれば精神が荒むし、下品な匂いは周りの人の思い出までも支配する。
そう考えると結局、「おしゃれ」というのは、精神的な問題なんだと思う。
少しずつ精神を磨くために、外部からの沢山のインプットが必要。
そして蓄積されたもののアウトプット=その人本来の美しさなんだろうな。
思えばスタイルっていう言葉は、肉体のことも表すし、主義や方向性という意味でも使われるよね。
肉体の堕落は、精神の堕落って、言っていたのは誰だっけ?
ベニスの美少年
- Posted at 2013.04.10
- l日々の出来事
![]() | ベニスに死す [DVD] (2010/04/21) ダーク・ボガード、ビョルン・アンドレセン 他 商品詳細を見る |
最近、といっても、もう2ヶ月くらい前のような気がするけど
トーマスマンの小説「ベニスに死す」を読んで、そのあと映画も見た。
そもそも「ベニスに死す」がどんなものかも知らないで、
本屋でたまたま平積みされていて買ったのだけど、想像以上に面白かった。
美少年を追いかけて破滅していく作家の物語。
「美⇒破滅」という様式に、どうしてこうも惹きつけられるのか。
映画の方で、主人公を幻惑する美少年「タッジオ」を演じたビョルン・アンドレセンの
美しさには、本当に絶句させられる。心打たれる。
人間の生々しさを一切まとわない端麗過ぎる、完成された顔。
少しの隙もない神々しさは、怜悧な感じさえする。
演技以前に、その場に立つだけで「タッジオ」が成り立つ容姿――。
まさに、小説の中の言葉を引用すれば、彼は
【精神のなかに生きている完璧(岩波文庫P90,L3)】そのもののようにも見える。
しかし、「完璧」は精神の中こそ曖昧に生成されるもので、この世には本来存在しない。
通常、人間は実在するものに対してホンの少しの美性を感じて、
そのホンの少しの美性を憧れで補ってある程度は楽しむものだと思うが、
あまりにも憧れが強く、無理に「完璧」を精神世界から現実に引っ張り出そうとした場合、
人間はまたその計り知れない誤差の谷底で溺れてしまうようだ。
幻惑とは、耽溺とは、執着とは、狂気とは、変わり果てた「完璧」のカケラたちなのだと、
こういう作品に出会うといつも思う。
そういう意味で、「タッジオ」は作家アッシェンバッハの精神の中に眠る「完璧」を大いに刺激し、
「実在」への期待を抱かせている。
舞台が、旅先のヴェネツィア、という設定もまた幻想的。
眩しい海を伴った華やかな観光地に、徐々に忍び寄ってくる疫病。
アッシェンバッハの死因はこの疫病だが、(精神的な意味での)本当の病=美だったのではないかと
思えるのは、飛躍しすぎだろうか。
小説の解説でも触れられていたことだが、「ベニスに死す」という邦題もいい。
本来であれば、「ベニスにおける死」というのが直訳らしいが、
「死す」というのは過去のことのようでもあり、未来の予言のようにも、現在のようにも感じる
不思議な響きを持つ。
どこまでが幻で、どこまでが現実なのか。
どこまでが美しく、どこまでが醜いのか。
想い悩むアッシェンバッハの胸中や、消毒液に浸されていくベニスの街の情景の中、
「タッジオ」だけが宙に浮いたように、どこまでも美しい。
「悪夢」と呼ぶには純粋で、「夢」と呼ぶには悲惨な、そういう作品である。
★本日の素敵
ベネチア
――いつか、私もベニスに行って、羽の生えたライオンを拝んだり、
ゴンドラに乗ったり、ベネチアンマスクをかぶったりしてみたいです笑。